インタビューINTERVIEWS

Photo by Shiro Yoshizawa

中田 博士 Nakada Hiroshi 陶芸家

  • 陶芸家
  • 中田 博士
  • 九谷焼
  • シンメトリー

  • コンセプト
  • 趣向

2022.12.09

様々なアーティストの作品づくりにおける“趣向”が垣間みえるインタビューから、
忙しなく働くビジネスパーソンにとっての日々の仕事に活かせる小さなヒント/気づきを・・・

「数は少なかったとしても
“つくらなきゃダメ” だ」
孤高に“つくり続ける”
陶芸家 中田博士 氏の
趣向をのぞく

陶芸家 中田博士 氏に、日々の作品づくりにおいて大切にしていること・作品づくりにおけるコンセプト等についての考えを訊いてみた。

陶芸家としての「これまでの歩み」について、お聞かせください。

中田さん:
家業が生業として九谷焼をしていて、うちは祖父の代からなので、創業100年ほどです。家業が九谷焼の家に生まれて、自分がそういう仕事に携わりたいかというと、小さい頃は当然そんな感覚はなかったですが、中学卒業し、高校に入学する時に、金沢に「石川県立工業」という高校があって、そこに日本で最初に開設された工芸科があったということがきっかけの一つでもあります。自分が工芸に携わりたいというより、小松市の子って高校で金沢市に出るのが、ちょっと憧れるというか。県内で言えば金沢は都会なので。金沢に行けるからいいかなと思って進学しました。高校の時は工芸科に入ったとはいえ、特に何をすることもなく(笑)。

「お昼頃に学校にいって、お昼ご飯を食べてそのまま帰っちゃうみたいな感じでしたね。(笑)」

なにをやっているんですか(笑)。陶芸をスタートしたのは高校生の時ですか。

中田さん:
何やっていたんでしょうね(笑)。学校に行くつもりがゲームセンターに行ってそのままとかだったので。親は美術系大学に行かせようとしていましたが、自分としては美術系大学にいきたいという意思もあまりなく、美術系大学入るという体で一浪はしたものの、やっぱり目的や意志が自分の中ではっきりしなかったのを覚えています。それでも、陶芸を勉強できる専門学校があって、大阪美術専門学校という学校に19歳で入学し、そこから陶芸をちゃんと始めました。そこで作り出したら、すごく楽しかったっていうのがあって。専門学校に入った時に出会った先生が初めて父以外でものづくりをしている人だったんですけど、その方も結構褒めてくれた。高校生ぐらいまでタラッと生きていたんで、当然褒められることってないじゃないですか。何かを一生懸命することもなかったので。

楽しいなと感じるときとは、どんなときですか。

中田さん:
もともと何かをつくったりするのは好きだったんですよ。作るというか・・・ガンプラ作るとかそういうのは結構好きだったりしたので、

「手を動かして何かを作るっていうのは自分の中ですごく好きなんです。」

好きだけじゃないんでしょうけど、生み出せるっていう喜びというものもあった気がします。ただガンプラは決まったものをこう組み立てていくとできちゃうんですけど、陶芸はもっと創造的なことなので、そのあたりは、最初のころは少し戸惑いがありながらも、手を動かして形にする喜びは確実にありましたね。

Photo by Shiro Yoshizawa

創造的に手を動かして作品を形にするということですね。日々、「作品をつくる上で大切にしていること」はなんですか。

中田さん:
ものを作る上で大切にしていることは、作品の質・完成度については、ある程度以上に高くなければいけないかなと思っています。完成させるための目標・ポイントが九谷焼は他の工芸とか焼き物と比べても高いと思います。

つくる前から、かたちの完成形はイメージされているのですか。

中田さん:
なんとなくの形のイメージはあります。僕は轆轤(ろくろ)成形という技法で、土を立ち上げていきます。紙に書いた後、それを形にするというのが全然できなかったんで。受験の時も、デッサンが全くできなかった。でも、

「頭の中に、明確に完成形っていうのはあるんです。そのイメージをどんどん形にしていくという感じですね。 」

中田さんの作品は真珠のように輝く白色が特徴の一つですが、「白」にこだわる理由をお聞かせください。

中田さん:
白い物が結構好きだったっていうのがまず一つあります。白い磁器は、白色なんですけどで、白いものに白い加色をして作品を完成させたいというのがあって、今の作品は28歳ぐらいから取り組みはじめ、「工芸って何だろう」と思ったらやっぱり作品単体で飾られることもありますが、空間や設えの中にあるものなので、そういう時に、

「その環境に溶け込むことができるのは白かなと思っていて。」

白い物は結構収まりがいいというのもあります。それと、自分自身が磁器を扱ってものを作るっていうところに生まれて、それは本当に良かったなと思っていて、他の素材とかも色々あるじゃないですか。漆とか金属とか。僕は漆の匂いが苦手で、手も被れるし、金属も金属粉とかがすごく苦手で。粘土は自分にとっては自然にしっくりきています。

その他に自分らしい特徴はどんな部分でしょうか。

中田さん:
シンメトリーであることが大事ですね。性格かな。人によっては、シンメトリーであることが悪いみたいな風にいう人もいて、「もうちょっと動かせないの?」みたいな感じで言われることもありますが、それは違うだろうっていうのがあるので。それが自分の個性だとも言えると思います。

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「作品づくりにおけるコンセプト」をお聞かせ頂けますか。

中田さん:
コンセプトっていうのは。コンセプトという言葉をあまり使わないですね。何ででしょうね。何と言うか・・・。ものに対してベラベラ概念づけて喋るのも、僕の思う工芸作家としてはちょっと違うのかなと思いますね。作るときにまず、僕はこの轆轤が好きなので、形がない状態の粘土を真空ドレン機という機械から出して、空気が抜けた状態の筒状のものになるんです。それをこのターンテーブルの上に乗せて、引き上げていくと粘土の粒子がスパイラル状になって形ができてくる。磁器の場合だと、この轆轤で成形するか、鋳込み・石膏型に泥状のものを流し込んで形をつくる技法があるんですけど、磁器ってその状態だけでは形を保てないもので、このターンテーブルに乗せてこう引き上げていくことで自分が思った通りの形にできるというのがあって。僕の作品は膨らみが特徴的なものが多く、

「自分が思った綺麗なアウトラインができればいいかなとは常に思っています。」

植物なんかの有機的なモチーフのイメージを自分の手の中で作り上げていってという感じです。だから、コンセプトがないということではないですが。

これまで作品をつくり続けてきて、影響を受けた人がいれば、エピソードと合わせてお聞かせください。

中田さん:
影響受けた人はすごくたくさんいるんですよ。工芸とか工芸作品が好きというより、その物をつくっている人が結構好きで、色々な産地とかも行ったり、いろんな諸先輩方のところに勝手にアポを取って、足を運んだりしてました。陶芸家の人が多かったですけど、

「作っている人ってそれぞれ個性があって楽しいなと。」

2,3年前にもお会いしたのが、備前焼をやっている伊勢崎淳さんという人間国宝と言われている人に会いに行きました。彼は本当にあったかい人で、大きい人という感じで。「もうとにかくたくさん作りなさい」と。

「発表する数は少なくてもいいけどやっぱり作らなきゃダメだ」というので。

「とにかくたくさん作ってその中から選びなさい」とか。そういった言葉は、今でも自分の中で心に刻まれています。

作品をつくり続けるのもエネルギーがいりますよね。実際には、どのくらいの時間をかけて一つの作品を形にしているのですか。

Photo by Shiro Yoshizawa

中田さん:
大きいものだと2ヶ月半とか3ヶ月。乾燥させる期間とか窯に入れている期間、温度を上げたり下げたりという期間がすごく長いので。構想する期間というのはなくて、逆を言えば、ずっと考えているので。実際触る期間が、大体3ヶ月ぐらいですね。ただそのベースになるものが割と引いて削って形になってすぐ良かったというのはそんなにないので、最初のプロトタイプは1・2年前につくって、そこからしばらく寝かしておいて、別の仕事や別の形状のものとかを作りつつ、「あ!これもう一回詰めてみよう」という風になりますね。

「早々にできたものというのは、自分の中で勝手に良いだろうと思い込んでしまったりする」

ですが、少し冷静に考えると、「もうちょっとここはこういう風にした方がいいな」というのが出てきたりします。陶芸は他の工芸素材よりも比較的、数も作れるので、トライしてまたトライしてといった感じで徐々に形にしていきます。

伝統工芸がより大きなスケールで社会的な役割を担うとしたときの、「伝統工芸」の社会的・文化的な位置づけにお聞かせください。

中田さん:
この質問、一番難しいなと思っていたんですよ。皆さんこれ嫌がりません?(笑)。正直、そんなに考えてはいませんでしたが、僕ら個人工芸作家は、個人それぞれの特色が出てきたのがおそらく明治以降だと思うんですよ。それから150年ぐらい経っていて、牡丹の模様や唐草などをとってみても中国や外からの影響を受けてきたと思っているのですが、今は、もう日本独自のものを、日本独自の技法で生み出している。例えば、蒔絵(まきえ)は日本にしかないもので、それぞれ各個人が自分の表現として作っています。それそのものが日本のオリジナリティという風に感じられるようになってきているということなのかもしれません。だから今、伝統工芸がちょうどいい段階に来ているんだろうなというのを感じていて、先日、中国の方も来館され、

「ここにしかないもの、日本独自のものに価値を見出しているのかなと感じることがあります。」

工芸が中国や諸外国で少し流行っていたり、コレクションする方も増えてきていて、そういう方々は、日本特有のもの、日本特有の美意識が感じられるものをコレクションしたりするっていうのがあるので。とはいえ、おかしなことをしているじゃないですか。今の時代に、手仕事で1点1点作品を手作りして。なんか大量生産できる商品があるわけでもなく。本当に真逆じゃないですか。音楽でもCDから配信になっていたりするのに、僕らはヒット商品が出たとしても、これ100万個手で作れるかなんて言ったらとてもそんな世界ではないし。だからこそ、今のこの世の中の流れというのがとてもいい方向に来ている気がしているので、しっかりと自信を持って工芸をやっていきたいというのは強く思いますね。

その時代に逆行しているからこそ、その価値がより顕在化していくのかもしれませんね。

中田さん:
他の作家の作品を見ても、「40代の頃のものが好きだったなー」と思って、「あの人の70年代の作品ありますか?」というと、セカンダリでどこかにあるかないか。工芸は残っていくものだと思うので。例えば、60歳過ぎて、40代の作品をコピー的につくるということはしないですし、できないです。その時にしかつくれないものが必ずあるので。

Photo by Shiro Yoshizawa

最後に、これまでの人生で影響を受けた映画・本などあればお聞かせください。

中田さん:
トレインスポッティングという映画。当時、1996,7年ぐらい。私がちょうど高校生の時ぐらいです。おそらくイギリス・アイルランドかどっかで、どうしようもない、目標もないグズグズの5,6人が生活しているっていう話です。それこそ薬物とかに溺れたり、なんかむしゃくしゃした中で青春を過ごしたっていう感じで。主演はユワン・マクレガーで、監督はダニーボイル!おそらく、僕ら世代はみんな知っていて、VHSっていうんですか?あれもみんな持っていて。僕らの中ではすごくファッショナブルで、みんなが共有できる映画なんです。音楽がイギー・ポップが流れたりしていて。そして、なんと、2017年に2が出たんですよ。キャストが当時と全く一緒なんです。出演している俳優陣も。相変わらず20年後もやっぱりみんなダメな人たちだったんですけど、そのなんともいえない感じが良かったです。その劇中で、人生を選択するという意味の有名な言葉「choose life」が印象的で。これ、2(ツー) 絶対見てください(笑)。1のあと2見てほしい。その映画から学んだことは、「あの時ああしていたら良かったのに」とか色々後悔したりするときもあったりするけれど、

「結局全ては自分が選択して選んできた道だ」

っていうのをいっていて、「いやそうだよなぁ」と思って。でもそれも僕らの青春の時で、もうほぼ同じように年をとって、見ていたんです。世の中に不平不満とかあったりするじゃないですか。僕らも。あの時こうしていたら良かったとかって思うこともあったりするけど、

「結局僕の人生における選択権は自分にあったわけで。」

全部自分で選択してきたんだなと思ったら楽になりましたね。トレインスポッティングはぜひ見てください。

(文/聞き手:佐野勇太)